翌日の昼過ぎに、聖皇の指名を受けたカイトが執行人としての渡航に同行するメンバーを探していると聞き及んだピリカが、王宮内にあるカイトの執務室を訪れた。 書類仕事を中断して応対したカイトに促されてソファに腰掛けたピリカは、向かいに座ったカイトをまっすぐに見つめて用件を口にした。「カイト卿。今回の指名を受けて、執行人として赴く卿と同行する魔道士に、あたしを加えてください。この機会をあたしは待っていたんです」 前置きを省いて本題から入ったピリカに対し、カイトはまずその動機を確認するための質問を返した。「危険を伴う任務に立候補していただき、ありがとうございます。ピリカ卿、ひとつだけ訊いてもいいでしょうか? 危険な任務の機会を「待っていた」という理由は何ですか?」「あたしは魔道士としてトワゾンドール魔道士団に席をいただき、ミズガルズ王国の男爵位もいただきました。ですが、侯爵領となったヌプリの先住民族をルーツとする出自は、決して変わるものではありません。あたしの親や親族に向けられる視線を変えるために、あたしは活躍して功をあげなくてはならない。それが理由です」 ピリカの碧い瞳に強い決意が宿っているのを感じ取ったカイトは、首肯を返してから答えた。「分かりました。今回の渡航への同行をピリカ卿にお願いします」「ありがとうございます」「いえ、礼を言うのは俺のほうです。おかげで初めての任務を受ける俺にとって最大の不安材料がなくなりました」 そう言って頭を下げるカイトを見たピリカが微笑む。「カイト卿。あたしも、ひとつ訊いてもいいですか?」「ええ、どうぞ」「親しい関係になった女性は、もういますか?」「えっ!?」 ピリカの唐突な問いに動揺したカイトの声が裏返る。同時にカイトの脳裏にはストーリアの顔が浮かんだ。「あたしでよろしければ、そちらにも立候補してよろしいですか?」「えー……と、とても魅力的な提案なんですが……」「答えは急ぎませんので、いまは立候補だけ受け取ってください。気長に待ってます」 ピリカの微笑みには裏に含んだ後ろめたさがなく、魅力的な女性だとカイトは率直に思った。 その日のうちに、カイトは聖皇の使者であるヴェネーノが滞在するホテルに赴いた。 ヴェネーノが宿泊する客室に直接通されたカイトは、すすめられるままソファに腰掛けると用件から口にした
ビタリ王国の首席魔道士ウアイラによる王位の簒奪を受け、これを断罪する裁定を下した聖皇フィデスの署名が入った正式な刑の執行人への指名を受理。刑の執行に当たっての渡航に同行する三名の人選と、渡航の方法と日程の決定。 重大な決断と実務の処理を矢継ぎ早に行ったカイトは、深夜の帰宅から短い眠りを経て翌日も朝から王宮に赴き、ミズガルズ王国の宰相であるセルシオとの事前の確認に併せて事後の方針に関する協議も済ませた。 「さすがにちょっとオーバーワークかな……」 思わずぼそっとつぶやいたカイトが屋敷へ帰る頃には、大陸からの厳しい寒気をなだめていた冬の陽もすでに傾き始めていた。 カイトが自室に戻ると、ストーリアが旅の支度を調えていた。 どの程度の滞在になるか期間のはっきりしない渡航の準備とあって、その荷物はなかなかの量にはなっている。「ただいま」 カイトが声をかけると、ストーリアは荷造りの手を止めて微笑みを返した。「おかえりなさいませ。お疲れでしょう。出立までは少しお考えにならない時間をお持ちください」 ストーリアが自然に言い添えた「考えない時間」という言葉にカイトは感心してしまった。 この異世界に来てから約四ヶ月。首席魔道士という国防を担う元帥、あるいは象徴的存在としての大元帥とも謂えてしまう立場に就いてからの約三ヶ月。未だに慣れない政治的な判断や決断を強いられてきたカイトが、いま最も欲しているのは思考から解放される時間だった。 いまの自分を一番よく分かってくれているのは、異世界にいきなり召喚された最初の長い一日からずっとそばにいてくれるストーリアなんだろうとカイトはあらためて思った。「カイト様……? どうかなさいましたか?」 少し感慨にひたる間を置いたカイトに、ストーリアが小首を傾げてみせる。「あ、いや。ストーリアはいつでも、俺が欲しい言葉をくれるなって思っただけだよ」 カイトの返答を聞いたストーリアは、荷造りのためにかがんでいた姿勢から立ち上がるとカイトをまっすぐに見つめた。「カイト様……ひとつだけ、約束していただけませんか?」「俺にできる約束なら……」 ストーリアがゆっくりとカイトのそばに寄り、その胸に自身の頭を寄せる。 カイトの心音を確認するように短い間を置いたストーリアは、頬を寄せるカイトにだけ届く声でお願いを伝えた。「必ず
翌日の昼前。肌を冷やす淋しさをいっとき忘れさせてくれるような心地好い日差しがそそぐプログレの港には、聖皇からの指名を受けて刑の執行人として出立しようとするカイトたちの姿があった。 聖皇の使者としてミズガルズ王国を訪れたヴェネーノは、カイトたちより先に汽船への乗船を済ませていた。 ビタリ王国の王位を簒奪したウアイラと、クーデターの主体となったトリアイナ魔道士団への断罪を裁定した聖皇の意思を代行する執行人という特異な任務に当たる渡航とあって、カイトら四人の出立を見送るのはレビンとステラ、そしてノンノの三人のみだった。 少数とはいえ筆頭魔道士団の威を示す純白の軍服を身に纏う魔道士たちの存在は充分に目立っており、七人を遠巻きにする港で働く人々の注目を集めていた。「さくっと終わらせて還ってくるんだよ」 ノンノがいつもの調子で声をかけると、カイトは調子を合わせるように軽い調子で応じた。「うん。そうするよ」「ピリカをお願いね」 ノンノが浮かべる快活な笑みに、わずかな心配の色が差すのを見たカイトは大きくうなずいてみせた。「分かった。必ず無事に、一緒に還ってくるから」「うん。任せた」 カイトに向けて明るい笑顔をみせるノンノの横で、真剣な表情を崩さないレビンにアルテッツァが声をかけた。「王都を頼むよ」「お任せください。旅の無事とご武運を祈っております」「ああ、武勲を立てて王都に戻るとしよう」「はい。凱旋の日を楽しみにしております」 微笑を浮かべて壮行を口にするレビンへ向けて、アルテッツァは力強い首肯を返した。 カイトに随行するアルテッツァ、セリカ、ピリカの三人と、ヴェネーノを乗せた汽船は予定通りに正午の鐘を合図に出航した。 汽船は最短の航路でウァティカヌス聖皇国を目指し、十一日後の一月二十九日には聖皇国のスペツィア港へと到着する予定となっていた。 カイトにとっては初陣の地となるであろうビタリ王国へと続く旅立ちだったが、その不安や緊張を顔には出さないように努めた。 天候にも恵まれ穏やかな船旅となった十一日の間、四人はヴェネーノも交えてポーカーに興ずるなどして時間を潰す余裕を持った空気を共有した。 一月二十九日の昼過ぎには、予定の航程を全うした汽船がウァティカヌス聖皇国のスペツィア港に入港した。 ふたたび聖皇国の地を踏むこととなったカイトに、
カイトが筆頭魔道士団に属する魔道士三名とともにウァティカヌス聖皇国に到着したことで、聖皇フィデスが指名した三名の執行人が揃ったことを受け、翌日の昼過ぎには最初の協議が持たれた。 聖皇の宮殿内で行われた協議には各国の首席魔道士であるヴァルキュリャとインテンサ、そしてカイトが参加し、ウァティカヌス聖皇国の筆頭魔道士団・ロザリオ魔道士団で次席を務めるクーリアが、司会を兼ねたオブザーバーとして協議を進行した。 現状の確認から入るクーリアの穏やかだが通る声で、三カ国を代表する首席魔道士が顔を合わせる協議は始まった。「まずビタリ王国の現況からですが……首席魔道士であったウアイラが率いるトリアイナ魔道士団は、十二月三十一日に王都ロームルスでクーデターを起こし、国王とともにソフィア王女殿下を除く王族を殺害。その翌々日にはウアイラが国王に即位したことを国内外に宣言。王位の簒奪に際し、ウアイラに抵抗する姿勢をみせたビタリ国内の貴族は少なく、現在までに南部の一部を除くビタリ王国の領土はほぼトリアイナ魔道士団が掌握する形となっています」 クーリアの現状の説明を受けて、ヴァルキュリャとインテンサは現在の状況をすでに把握していると判断したカイトは最初の質問を口にした。「トリアイナ魔道士団に属する魔道士たちの配置はどうなっていますか?」 カイトに向けて首肯を返したクーリアが答える。「ゲルマニア帝国との国境に近いフエルシナには第三席次のイオタと第十一席次のボーラ。ガリア共和国との国境に近いマイラントには次席のゾンダと第九席次のカリフ。そして、聖皇国に近いメディオラヌムに第五席次のジュリエッタと第七席次のデルタ。ウアイラを始めとする他の魔道士は王都ロームルスに留まっているようです」 地中海に突き出た半島が領土の大半を占める、地球のイタリアに酷似したビタリ王国の地図をカイトは思い浮かべた。 大陸側の国境をゲルマニア帝国、ガリア共和国、ロムニア王国の三国と接しており、ウァティカヌス聖皇国を内包する領土を持つビタリ王国にあって、周辺の各国への警戒を顕示するなら妥当な配置なんだろうとカイトは思った。 ロムニア王国には魔教士以上の魔道士が不在な上に、停戦協定が結ばれたとはいえセナート帝国への警戒を解けない現状では、ビタリ王国に対して何かしらの行動を起こす余裕はないものとして協議には上が
「それでは、各々任務を完遂した後に合流するということで。私はこれで失礼を」 英魔範士である自分よりも上位の称号を持つ世界で三人しか存在しない内の一人だとしても、圧倒的な最強として君臨する太聖エルヴァや覇権国家を築くに至った皇帝シーマとは違い、現時点では何らの功績を挙げた訳でもない未知数のカイトと、最も警戒すべき存在として認識している自分以外の英魔範士であるヴァルキュリャ。 この二人と馴れ合う必要はなく、下手に関係を築くことは避けるべきだと判断しているインテンサは、静かに退席の意思を口にしてから立ち上がると真っ先に円卓を離れて退室した。「では、俺も……」 インテンサにつられて立ち上がったカイトに、ヴァルキュリャが声をかけた。「カイト卿。卿は今回が初めての実戦ですよね」「あ、はい。そうです」「卿は無属性魔法を行使する太魔範士にして聖魔道士、圧倒的な強者です。ですが、初陣には魔物が潜んでいます。命を奪うという行為に躊躇すれば魔物は容赦なく襲いかかってきます。覚悟は今のうちに固めておいてください」 命を奪う。ヴァルキュリャが明言した強い言葉に、表情を引き締めたカイトは首肯を返した。「分かりました。そうします」 カイトの素直な返答を聞いたヴァルキュリャは表情を緩め、穏やかな笑みを浮かべてみせた。 セナート帝国が勢力を拡大する中で徹底的な実力主義をもって猛者を集結させたラブリュス魔道士団が存在する今も、最強の魔道士団と称され続けるメーソンリー魔道士団の首席魔道士が浮かべる可憐な笑みに接したカイトは赤面した。 「それにしても、思ったより早い再会でしたね。この任務が終わったら、また二人でお酒でも」「はい、ぜひ」 ヴァルキュリャの誘いに対し、カイトは嬉しさを隠さずに二つ返事で応じた。 翌日の朝にはインテンサが率いるアイギス魔道士団の四名と、ヴァルキュリャが率いるメーソンリー魔道士団の四名が聖皇国の用意した幌馬車に乗り込み、それぞれの目的地へ向けて出立した。 さらに日付を跨ぎ月の変わった二月一日の朝には、最も目的地に近いカイトらトワゾンドール魔道士団の四名も、聖皇国が用意した二台の幌馬車に分乗してメディオラヌムへ向けて出立した。 同日の昼前。 数千年の歴史を刻む古都であり観光地として知られる、ビタリ王国で第三の都市であるフエルシナの空は今にも雨を
番所から深紅の軍服を着た女性が出てくるのを目視で確認したインテンサは、感情を乗せない静かな口調でクワトロに声をかけた。「聖皇国の情報は確かなようだ。ボーラで間違いないだろう。イオタが到着する前に済ませるとしよう。この戦闘は聖下の下された断罪を代行する刑の執行であり、戦場の儀礼は無視して構わん。卿の得意とする速攻で片付けてしまって何ら問題は無い」 インテンサの指示に「御意」とだけ短く応えたクワトロは、続く呼吸で魔法の詠唱を済ませた。「クッレレ・ウェンティー!」 速さで優位に立つのが定石である気の属性魔法を行使するクワトロが、風の力を利用して加速する初手の定番であるクッレレ・ウェンティーを用いて高速で駆け出す。 前傾で駆けた姿勢のままクワトロは召喚魔法を行使した。「ウムダブルチュ!」 クワトロが召喚獣の名を詠唱する。二つの魔法を同時に行使するという高等技術を難無く行ってみせるクワトロに呼応するように、ライオンの体に鷲の頭と翼を持った召喚獣が、金色に輝く魔法陣から現出する。 体長が四メートルに達するウムダブルチュは、堂々たる巨躯を誇示するように咆哮を上げた。「いいねえ、強引な男は嫌いじゃないよ」 不敵な笑みを浮かべたボーラは、その場で召喚魔法を行使した。「ラクタパクシャ!」 ボーラが詠唱した召喚獣の名に呼応して現れた紅く光る魔法陣から、人間の胴体に鷲の頭と翼を持つ召喚獣が現れる。その体長は二メートルほどだが、羽ばたく翼の翼長は四メートルにも届かんとする大きさを誇った。 全身から炎を発するラクタパクシャが、紅蓮の翼を強く羽ばたかせる。 ラクタパクシャの羽ばたきは数十本の炎の矢を空中に作り出した。 流れるような動作で、ラクタパクシャが紅蓮の翼を力強く前へと突き出す。 数十本の炎の矢が、一斉にウムダブルチュへと襲いかかる。 ウムダブルチュは素速く上空に舞い、炎の矢を全て躱してみせた。 上空から高速で急降下したウムダブルチュが、ラクタパクシャに体当たりを喰らわす。 その圧倒的な質量差によってラクタパクシャは吹き飛ばされた。「くそっ」 ボーラがウムダブルチュに向けて両手を突き出し、援護射撃となる魔法を詠唱しようとした、その刹那。眼前には既にクワトロの姿があった。「グラディウス・ウェンティー!」 クワトロの素速い詠唱と同時に長剣の如き
インテンサの指令を遂行したクワトロが、速攻でボーラを処理した現場へと駆け付けたイオタは亡き骸となったボーラを見るや怒りを露わにした。「あいつらか……!」 犬歯を剥き出しにして怒りを沸騰させるイオタが、五百メートルほど離れた街道に仁王立ちするアイギス魔道士団の四人を睨み付ける。「へ、へい……そうです。やつらが、ボーラ様を……」 ボーラとクワトロの戦闘を目撃した番人が、止まない恐怖で震える声のままイオタに答えた。 イオタは臨界に達した怒りを爆発させた。「いい女を殺す奴に生きてる価値はねえ! 皆殺しだっ! ムスペル!!」 イオタはその場で怒号とともに召喚獣の名を詠唱した。 直径十メートルほどの巨大な紅く光る魔法陣が、イオタの咆哮じみた召喚に応じて前方に現れる。 魔法陣から体高十五メートルにも及ぶ巨人ムスペルが現出する。 赤黒い肌を露にした裸体のムスペルは、はち切れんばかりに筋肉を隆起させていた。 ムスペルの全身は自ら発する炎で覆われている。 正しく「炎の巨人」そのものであるムスペルの威容を前にした番人は、腰を抜かしてその場にへたり込んだ。 ムスペルを見据えたインテンサは、感情を起伏させることなく一歩前に足を進めた。「聖皇国の情報は確かだったようだ。あの風体でムスペルを召喚できるならイオタで間違いないだろう。冥土へのせめてもの手向けに、格の違いというものを最期に見せてやるとしよう……ミドガルズオルム!」 インテンサが土の属性に於いて最上位とされる召喚竜の名を詠唱する。 直径二十メートルほどの巨大な緑色に発光する魔法陣が、インテンサの詠唱に呼応して浮かび上がる。 魔法陣から二百メートルを優に超える体長を有する大蛇が、その威容を現出させる。 灰褐色の鎧の如き鱗に覆われたミドガルズオルムは、ムスペルを見下すように鎌首をもたげた。 あまりに巨大な異形の召喚竜を目にしてしまった番人は、自分が失禁していることにさえ気付けずただ放心した。「ちっ……!」 ミドガルズオルムを召喚する魔道士が相手と知ったイオタは、舌打ちとともに思考を取り戻した。 各々の属性で最上位とされる召喚竜であるテュポーエウスやヴリトラと並び称されるミドガルズオルムを実際に目の当たりにするのは、筆頭魔道士団でエースナンバーを背負うイオタにとっても初めてのことだった。「くそ
フエルシナへ赴いたインテンサの一行が圧倒的な力量差をもって、聖皇の意思を代行する刑の執行人としての任を完遂した頃、ヴァルキュリャの一行も目的地であるマイラントに到着しようとしていた。 ビタリ王国で第四の都市であるマイラント。 天然の良港を持つマイラントは、海路と陸路を繋ぐ交通の要衝として古くから発展してきた街だった。 ガリア共和国に近いこともあり多様な芸術を育んできた街としても知られるマイラントの、手前一キロメートルほどの地点で二輛の幌馬車が停まった。 真っ先に馬車から降りたのは、刑の執行人として聖皇から指名を受けた首席魔道士ヴァルキュリャだった。 続いて同じ馬車から、長い金髪を三つ編みにした小柄な女性が静かに降りる。 小柄な女性はヴァルキュリャと同じ漆黒の地に山吹色で縁取りがなされたメーソンリー魔道士団の軍服を着ていた。同色のマントには山吹色の糸で刺繍されたメーソンリー魔道士団のシンボルであるコンパスのエンブレム。そのコンパスの下にはⅥの数字が標されている。「大丈夫? エリーゼ卿」 心配を隠さず顔に出したヴァルキュリャが、筆頭魔道士団としては異例の二十六名からなる「世界で最大にして最強の魔道士団」と称されるメーソンリー魔道士団で第六席次を担うエリーゼに声をかける。「大丈夫です。メーソンリーの魔道士が乗り物に弱いなんて情けないですよね」「そんなことないよ。なんだかゴメンね」「どうしてヴァルキュリャ卿が謝るんですか」 エリーゼはくすりと笑ってみせた。 セナート帝国が最大の大陸を掌握する覇権国家となった今も、陸よりも遙かに広い海洋を押さえる覇権国家として在り続けるブリタンニア連合王国の筆頭魔道士団として、席次の決定にも政治が絡んでくるメーソンリー魔道士団の首席魔道士となったヴァルキュリャ。 十七歳の若さで首席魔道士となったヴァルキュリャの「できるだけ近い席次に就いて欲しい」という希望を聞き入れ、本来であれば望んでいない政治的な策謀が渦巻く席次争いに身を投じ、魔教士としては最高位となる第六席次に就いたエリーゼはヴァルキュリャにとって大切な存在だった。「いやさあ……こんな任務に付き合わせちゃってるから、ね」「そう、任務です。だから謝らないでください」 やわらかく微笑むエリーゼに対して「……うん。そうだね」とヴァルキュリャはうなずきながら
ヒンドゥスターン王国内では精鋭とされる魔錬士として、十二名から成る筆頭魔道士団の席次に就いていたフリードとビートを、圧倒的な力量差であっさりと処理したアリアは顔色ひとつ変えることなく、ベルゼブブを召喚したままでツカツカと街の中心部に向かって歩き続けた。 アリアの軽快な足取りに合わせて、リラックスした表情を浮かべるヴァイオレットとシルビア、鋭い視線で周囲を警戒する第十四席のギャランが後に続いた。 ベンガラに暮らす住民たちは既に建物の中に引き籠もっており、無人となった街には警鐘だけが鳴り響いていた。 アリアは街の中心に位置する、大きな噴水のある広場で足を止めた。「さて、と。ここで待とっか。人の姿は見えないけど警鐘は鳴ってることだし、あっちから来てくれるでしょ。暑くてもう、歩く気しないしさ」 アリアが軽い口調のまま待機を指示した数分後。 噴水のある広場からほど近いベンガラの役場に詰めていた、メーソンリー魔道士団の軍服を着た壮年の魔道士が二人と、アパラージタ魔道士団の軍服を着た若い女性魔道士が広場に駆けつけた。 緊迫した様子で近付いてくる三人の姿を見たアリアは待ちくたびれた口調で「やっと来た」と呟きながら、呑気なあくびを漏らしてみせた。 背恰好の似た壮年である二人の魔道士は、アリアが召喚しているベルゼブブを目視すると顔を見合わせ、うなずき合うと同時に揃って召喚獣の名を喚んだ。「「タロース!」」 二人の重なった詠唱に応じて出現した、二つの直径二メートルほどで緑色に発光する魔法陣から、全身が青銅色の装甲で覆われた身長三メートルほどの人型をした二体のタロースが姿を現わす。 二体のタロースを見たアリアは、退屈であることを隠さず口にした。「ベルゼブブに対して耐刃性能に優れるタロースを選んだ、ってことなんだろうけど……まあ、土の属性魔法を使う魔道士として間違ってないだけで、平凡すぎるよね」 壮年の魔道士の一人が、泰然とした様子のアリアに奇妙な違和感を覚えながらも声を張り上げた。「ラブリュス魔道士団が、ベンガラの地に何用だ!」 切迫が声に現れている壮年の魔道士とは対照的に、アリアがくつろいだ口調のまま答える。「えーと、アルナージ卿かな? それともカマルグ卿? まあ、どっちでもいいんだけど。セナート帝国はね、今朝、ヒンドゥスターン王国に宣戦布告したんだよ
「宣戦布告も済ませた戦争で、この戦い方が国際法ギリギリなのは承知してるけど。面白くなさそうだったし、まあ、お互い最低限の口上は済ませてたし、ってことで。遅いんだもん。召喚前に「ちくしょう」とか言ってるようじゃ問題外だね」 アリアは吐き捨てるように呟くと、ベルゼブブを召喚したまま軽い足取りで歩き出した。 ラブリュス魔道士団に籍を置く三名が無言でアリアの後に続く。 けたたましい警鐘が鳴り響く中、アリアがベンガラの中心区画に足を踏み入れたタイミングで「クッレレ・ウェンティー!」と風の属性で基本となる魔法を詠唱する少年の声が、アリアたちの耳に届いた。 自身の速度を強化するクッレレ・ウェンティーによって高速で駆ける少年が、アリアに向かって一直線に接近する。 アパラージタ魔道士団の軍服を身に纏う少年の、左肩でたなびくマントに標されたナンバーはⅫだった。「シーカ・ウェンティー!」 少年は駆ける足を止めること無く詠唱を済ませ、風の力で成形された短剣を右手に現出させる。「ラーミナ・ウェンティー!」 少年は立て続けに風の属性魔法を詠唱するのに合わせて、アリアを指すように左手を突き出した。 風の力を刃状に成形して射出するラーミナ・ウェンティーを行使した少年の、左手から撃ち出された風の刃が回転しながら高速でアリアに迫る。 アリアは何ら反応することなく、歩く足を止めることさえしなかった。 平然と歩き続けるアリアに代わって動いたのはベルゼブブだった。 互いに近付いているアリアと少年との間に瞬間的に割って入ったベルゼブブは、脚の先に発生させた風の刃で少年が放った風の刃を難無く叩き落とした。「チッ……!」 舌打ちした少年は、右手に握っているシーカ・ウェンティーによって現出させた風の短剣を投擲した。 ベルゼブブが短剣を叩き落とす隙に、少年がアリアとベルゼブブから距離を取る。「うん。まあ、なかなかと言っていい動きかな? キミ、名前は?」 アリアが戦闘の緊張を欠片も含まない口調で、少年の魔道士に声をかけた。 少年はベルゼブブから目を離さずに答えた。「ビート……アパラージタ魔道士団、第十二席次のビート・ハセックだ!」「ふーん。ボクはアリアだよ。で、ビート卿。称号はお持ち?」「……魔錬士、だ」 ビートがベルゼブブを警戒しながらも素直に答える。「そっかあ……そ
海洋帝国ブリタンニアを始めとする西方の列強四国において国威の象徴であり国防の要でもある四名の首席魔道士たちと席を並べ、東方の島国であるミズガルズ王国の立ち位置を列強各国と肩を並べる位置まで引き上げようと、カイトが慣れない政治的な立ち回りを演じる舞台となったウァティカヌス聖皇国で、五国間の軍事同盟に関する同意を首席魔道士同士で確認した会談から六日後となる三月二十四日。 週が明けた月曜日の朝に、セナート帝国はヒンドゥスターン王国に対して宣戦布告した。 早朝に布告された宣戦と同時に、セナート帝国の筆頭魔道士団であるラブリュス魔道士団の魔道士六名が動いた。 セナート帝国で南方を担当する第六魔道士団の魔道士十二名と、支援部隊として帯同する五十名の一般兵で編成された小隊を従えた、六名の魔道士を乗せた黒光りする装甲板に覆われた汽船は、ヒンドゥスターン王国の重要拠点となっているベンガラの南東に位置する港湾都市チッタゴンを強行突破した。 チッタゴンにはヒンドゥスターン王国及び、ヒンドゥスターンを間接統治するブリタンニア連合王国の筆頭魔道士団に属する魔道士は配備されておらず、魔道士を相手に抵抗する術を持たないチッタゴンの防衛に当たっていた一般の兵士たちは、六名の内の一人である第十八席次のシルエイティの召喚したヒュドラが先導する汽船に対して交戦の意思すら見せなかった。 セナート帝国の汽船は難無く河川を北上し、昼前にはヒンドゥスターン王国とセナート帝国が双方ともに重要視する都市であるベンガラの河川港へと入港した。 河川港に降り立った魔道士たちのマントに標されたナンバーは、Ⅵ、Ⅷ、Ⅸ、ⅩⅣ、XVIII、XIX。 桟橋へと降り立つなり、第九席次に就き南方元帥と称されるアリアがぼやいた。「もうさ、すでに帰りたくなってるんだけどボク。暑すぎるよ。せめてさあ……このジメジメだけでも、どうにかならないかな。湿度高すぎでしょ、まだ三月だよ?」 開けっぴろげにぼやくアリアに対し、第八席次でありながらアリアの副官を兼ね、常に行動を共にしているヴァイオレットが宥めるように声をかけた。「本当に暑いね。夏仕様でも真っ黒なままの軍服で来るような土地じゃない。さっさとベンガラを落として涼むしかないよ」 ヴァイオレットへ無邪気にもみえる笑みを向けて「うん。そうしよ」とうなずいたアリアは、続けて
クーリアが前祝いと言い表した酒宴は、港町でもあるウァティカヌス聖皇国の玄関口として機能するスペツィア港から程近い、庶民的な酒場を貸し切って行われた。 ブリタンニア連合王国を始めとする西方の列強四国と、東方で独立を維持し続けた魔法国家ミズガルズ王国が軍事同盟を結ぶという事態は、既に類を見ない大陸覇権国家として海洋帝国ブリタンニアに比肩する国力を擁していながら、ロムニア王国を併合し更なる勢力拡大の動きをみせたセナート帝国に対抗する大勢力が形成されることを意味する。 世界の対立軸と成り得る軍事同盟について、各国の国防を担う首席魔道士が同意に至った会談の直後という重大な局面とは無縁の、軽い談笑を交わすシロンとクーリアの明るい笑い声が酒宴の空気を担っていた。 ともに酒豪であるシロンとクーリアが、ざっくばらんに語らいながら豪快に杯を重ね続けるのとは対照的に、インテンサとドゥカティは静かに杯を酌み交わしていた。 カイトはヴァルキュリャと差し向かってワインを傾けた。「ブリタンニアにとって今一番の気掛りは、やっぱりヒンドゥスターン王国、ということになるんですか?」 カイトの素直な問いに対し、ヴァルキュリャは微笑を浮かべたまま答えた。「そうですね。ヒンドゥスターンはセナート帝国が掌握したアフラシア大陸に残った最後のくさびと言ってもいい国ですから。セナート帝国との国境がヒマアーラヤ山脈によって護られたっていう要因が大きかったんですけど」「それでもセナート帝国が攻めるとしたら、どのルートになりますか?」「地続きに攻め込まれるとすれば北東のベンガラ、海から攻めるなら王都デリイへの最短ルートとなるドーラヴィーラが考えられます。なので、ベンガラにはメーソンリーの魔道士二名と、ヒンドゥスターンの筆頭魔道士団であるアパラージタ魔道士団の魔道士が数名、常駐してます」「東南エイジアは、ほぼブリタンニア領でしたよね」「ええ、実を言えば我が国は、そちらの方こそを警戒しているんですよ。その証拠にセナート帝国との国境があるマライ半島には、メーソンリーから四名の魔道士を派遣しています」「四名はすごいですね」 素直に驚いてみせるカイトの反応を見て、ヴァルキュリャが微苦笑を浮かべる。「東南エイジアには他にもメーソンリーから三名の魔道士を派遣しています。それに加えて第七と第八魔道士団を合
三月十八日の午前中に、シロンを乗せた蒸気自動車は検問の無いウァティカヌス聖皇国の国境を越えた。 ガリア共和国の筆頭魔道士団であるシャノワール魔道士団の首席魔道士として、国威を担う要職に就くシロンの聖皇国行きに随行した魔道士は一名のみだった。 シロンと揃いの山吹色の地に黒の糸で刺繍が施されたシャノワール魔道士団の軍服を着た、がっしりとした大柄の男性魔道士は小振りな車窓から望む聖皇国の景色を無言で眺め続けていた。黒猫のエンブレムが刺繍された左胸に標されたナンバーはⅫ。 充実した三十六歳の精悍な顔つきをした第十二席次の男性魔道士と書類を確認するシロンは、移動の退屈をたわい無い会話でつなぐでもなく共に無言だったが、互いに静かな時間を好む性分であることを知る者同士での移動はシロンにとっては快適なものだった。「周到を良しとするシロン卿でも、今回ばかりは懸念が残りますか?」 男性魔道士が落ち着いた口調でシロンへの問いを口にした。 好みに合う艶のあるバリトンの声に、シロンは微かな笑みを浮かべて応じた。「まあ普通に考えれば、懸念だらけですよね。革命後の共和制やら帝政やらを生き延びた貴族が集まれば「復讐」の対象として口上にあげるゲルマニアと、利害の一致があるときだけ互いを利用しあうようになったブリタンニアを同時に口説くんですから。こちらも誠意を示す必要はある。そのせいでゼンヴォ卿、孤高の切り札である卿に無理なお願いをする形になってしまいましたしね」 シロンの口調はその言葉に反して、楽観的な響きを含むものだった。 「孤高の切り札、ときましたか。俺の境遇もシロン卿にかかれば格好が付いてしまう。外人として扱いづらい俺でも、卿の役に立てるんなら本望ですよ」「ありがとうございます」 シロンの微笑みに満足したゼンヴォは車窓へと視線を戻した。 ゼンヴォに合わせて、再び膝に載せた書面へ目を落としたシロンは「小心を飼い馴らせているか」と胸の内で自問した。 世界に二十人しか確認されていない魔範士として祖国のために働き続け、いつしか「魔道士の模範」などと称されるようになっても、英魔範士や太魔範士が居並ぶ列強の首席魔道士の中で魔範士である自分に「失策」は許されない。 周到を良しとするのではなく、周到でなければ動けない。自分が抱えるこの小心は「武器になる」と言い聞かせてきたシロ
セナート帝国によるロムニア王国の併合を受け、ビタリ王国へ魔道士を派遣するブリタンニア連合王国、ゲルマニア帝国、ミズガルズ王国の三国とビタリ王国の四国間による軍事同盟の締結に向けて動くことを、首席魔道士であるカイト、ヴァルキュリャ、インテンサが確認した会談の翌日。 三月十六日の昼前に、レビンとステラが予定通りに聖皇国へと到着した。 カイトは一人で船着き場まで赴き、呼び寄せる形となった二人を出迎えた。 降り立ったレビンの黒髪とステラの亜麻色の髪が、近付く春のやわらかさを含み始めた日差しを浴びて輝いていた。 カイトは純白のトワゾンドール魔道士団の軍服を身に纏う二人のもとへ駆け寄った。「遠路、お疲れ様です」 カイトがレビンに向けて右手を差し出すと、レビンは微かに硬い表情のまま「出迎え、感謝します」とだけ答えて握手に応じた。 レビンと短い握手を交わしたカイトは、続けてステラに向けて右手を差し出した。「長い船旅でお疲れでしょう。ホテルに案内します」「ありがとうございます。カイト卿、少し痩せましたか?」 ステラはやわらかな笑みを浮かべながら握手に応じた。 カイトは港からほど近いホテルへ二人を案内すると、その流れの中で昼食に二人を誘った。 二人の荷物を船の乗組員が客室へと運び込むのを見届けた三人は、連れ立ってホテルの近くにあるレストランへと移動した。 一通りの料理を注文し、白ワインでの乾杯を済ませると、カイトがレビンとステラに向けて頭を下げてみせた。「お二人には、急な赴任を引き受けていただきました。そのお礼を、まず先に伝えたかったんです」 頭を下げながら礼を述べるカイトに対し、レビンが静かに応じる。「礼には及びません。任務ですから」 レビンが端的に答えると、ステラがカイトへの質問を口にした。「カイト卿、わたしたちの赴任先は、もう決まっているんですか?」「はい。ビタリ王国の王都、ロームルスになります」「ロームルスには他の筆頭魔道士団の魔道士も?」「はい。すでにブリタンニアのメーソンリー魔道士団から派遣された二名が駐屯しています」 カイトの答えを聞いたステラとレビンが短く顔を見合わせる。 向き直ってカイトへの疑問を口にしたのはレビンだった。「カイト卿。アルテッツァ卿とセリカ卿、そしてピリカ卿は、これからどうなさるご予定ですか?」「当
セナート帝国によるロムニア王国への侵攻を指揮したのは、ラブリュス魔道士団の第三席次として長く西方戦線を預かり、西方元帥として知られるフーガだった。 他の筆頭魔道士団とは異なり、第三席次をエースナンバーとして運用しないラブリュス魔道士団におけるフーガの地位は大元帥に相当し、北方元帥のセドリック、東方元帥のティーダ、南方元帥のアリアから成る四元帥の中で一段上位にあり、皇帝シーマの右腕として内政と諜報を掌握する第二席次のグロリアに同格とされていた。 急速に勢力を拡大したセナート帝国にあって、最も軍功を挙げた魔道士であるフーガが率いるラブリュス魔道士団に籍を置く七名の魔道士と、西方戦線に配備された第三魔道士団の魔道士、魔道士団の後方支援に徹する二千人規模の一般兵で編成された部隊は、攻め落とした都市に留まることなく進撃を続け、三月九日にはロムニア王国の王都を陥落させたる。 筆頭魔道士団を失ったロムニア王国の国王は同日、無条件での降伏を自ら申し出た。 新聞各紙は『火の七日』という大見出しで、一つの国を短期間で飲み込んだセナート帝国の烈火の如き侵攻を報じた。 セナート帝国はロムニア王国の領土を手にしたことで、短い国境線ではあるもののゲルマニア帝国およびビタリ王国と国境を接することとなった。 さらに地中海に面する港も手中に収めたことで、地中海からオルハン帝国とビタリ王国、そしてガリア共和国へも直接繋がる海路を獲得するという戦果を得たフーガの戦勝スピーチが新聞各紙の紙面を飾った。「セナート帝国は国を征しても、文化を奪い民を辱めることはしない。その証人として民の生活が安らぎ、その顔に笑みが戻るまで、私はこの地に残る」 産業革命の流れに乗り遅れたことで列強に及ぶ国力を有するには至らなかったが、決して小国ではないロムニア王国への侵攻を一週間で完遂するという衝撃の報を受けて、ビタリ王国に滞在していたヴァルキュリャとインテンサ、そしてカイトの三国を代表する首席魔道士は、セナート帝国の次なる動きを警戒して本国への帰還を先延ばしせざるを得なかった。 ビタリ王国を再建するためのキーパーソンとなっていた首席魔道士である三名は、セナート帝国の動向に即応するためゲルマニア帝国とガリア共和国に近いウァティカヌス聖皇国へと移動し、到着した三月十五日には最初の会談を持った。 聖皇の宮殿で
産業革命や列強による植民地争奪といった地球の十九世紀末と酷似した時代背景を持ちながらも「魔法」が実際の力として実在し、その魔法を行使する「魔道士」が存在するという最大の違いによって、地球の同時期との相違が最も大きく表れることとなった軍隊の有り様。 列強とされる国家が数百万人、覇権国家に至っては一千万人をも超える軍人を擁していた大戦前夜の地球とは異なり、魔道士によって編成される魔道士団が軍の主体を担い、戦場において国家の意思を代行する全権代理人としての資格を有する魔道士で構成される筆頭魔道士団が国防の象徴であり本体として機能する異世界テルス。 筆頭魔道士団を失うという国体の維持そのものを揺るがす事態に直面したビタリ王国の要請に応える形で、ブリタンニア連合王国、ゲルマニア帝国、ミズガルズ王国の三国から筆頭魔道士団に籍を置く魔道士を派遣するという四国間の同盟へと繋がる協議が持たれた十一日後。 二月二十四日にウァティカヌス聖皇国の使者が、セナート帝国の帝都マスクヴァへと到着した。 聖皇国の使者は聖皇フィデスの意向として、首席魔道士であったウアイラ以下、筆頭魔道士団としてのトリアイナ魔道士団を構成していた七名全員の身柄引き渡しを要求したが、セナート帝国の皇帝シーマは要求を拒否。 その翌日には、ウアイラ以下七名をセナート帝国の筆頭魔道士団であるラブリュス魔道士団へと迎え入れ、新設した第二十四から第三十まで席次に就任したことを皇帝の署名入りで公表した。 世界情勢に大きな影響を及ぼす報は、最優先の速報として報道機関や外交使節によって瞬く間に伝わり、翌日の夕刻にはビタリ王国に滞在するカイトのもとにも届いた。 ヴァルキュリャと連れ立って宿泊しているホテルにほど近いバーで飲んでいたカイトに、その報せを持ってきたのはメーソンリー魔道士団の第六席次に就き、ヴァルキュリャにとっては貴重な友人でもあるエリーゼだった。「わたしって、お酒もからっきし弱いので、お先に失礼しますね……ごゆっくり」 穏やかな笑みで言い残すと、号外として発行される直前の記事を二人に手渡したエリーゼは早々に席を立った。 ヴァルキュリャは飲み干したワイングラスを置くと、ふうと短く吐息を漏らしてから口を開いた。「これでラブリュスは、我がメーソンリーを抜いて世界一の大所帯になりましたね」「聖皇国は引き下
翌日の昼過ぎ。 カイトは滞在するホテルの客室で独り悩んでいた。 トワゾンドール魔道士団のメンバーの中から、ビタリ王国へと派遣することになった二名の魔道士について、カイトは決めかねていた。 客室のドアがノックされたのに応えてカイトが出ると、アルテッツァとセリカが立っていた。「昼食はまだかい?」 アルテッツァがいつもの輝く笑顔を浮かべながら口にした「昼食」という言葉を聞いて、もう昼過ぎなんだと気付いたカイトは、「もう、そんな時間だったんだ」 と頭を掻きながら答えた。「私たちもこれからなんだ、一緒にどうかな?」「うん、ありがとう。そうしよう」 アルテッツァの誘いに応じたカイトを含めた三人は連れ立って、ホテルのほど近くにあるレストランへと移動した。 オリーブオイルを多用する海鮮が中心となった料理がテーブルに並び、三人は白ワインで乾杯した。 ワイングラスを置いたアルテッツァは、探りを入れること無く本題から話を切り出した。「ビタリに派遣する二名について、迷ってるみたいだね」「お見通しだね。うん、その通りだよ」「私とセリカが、このままビタリに残る。という形が最もスムーズな対処だろうけど」 素直に答えたカイトの迷いを解すように、アルテッツァは会話を進めた。「うん。まあ、そうなんだろうけど……正直に言っちゃうと、アルテッツァには出来れば近くにいてもらいたいんだ。わがままなのは分かってるんだけどね」「そうか……うん。安心したよ」 アルテッツァの「安心」という返答が意外だったカイトは、短く「安心?」とだけオウム返しに聞き返した。「孤独を好む指揮官は強いようでいて、実は脆かったりするものだから」「なるほど……確かに、そうかもしれない」「私とセリカ以外で、となれば候補は絞られるんじゃないかな?」 アルテッツァに促される話の流れに逆らわず、カイトは派遣する二名を選ぶ条件について答え始めた。「アバロン卿とクレシーダ卿、そしてチェイサー卿はラペルーズ。アルシオーネ卿とレオーネ卿はペアホース。セナート帝国への警戒を解けない現状で、それぞれのチョークポイントから動いてもらうわけにはいかない。魔範士であるノンノ卿には王都に留まっておいてもらいたい。候補として残るのは……レビン卿とステラ卿」 レビンとステラの名を挙げたカイトに対して、アルテッツァがうな